リアルとフェイク


『日本ノンフィクション史』武田徹著を読む。
日本のノンフィクションの通史って確かになかった。
黎明期、大宅壮一から
石川達三火野葦平などの作家が書いたノンフィクションもの。
週刊誌が刊行されると
梶山季之らトップ屋、本来黒子であった書き手が脚光を浴びる。
テレビ時代になると映像による
ノンフィクション、ドキュメンタリーが人気を博すようになる。
んで、カウンターカルチャーの流れなのだろう。
ニュージャーナリズムが盛んとなり、
その代表が日本だと沢木“深夜特急”耕太郎。
アメリカじゃ『冷血』のトルーマン・カポーティあたりかな。

最近では、宮台真司から古市憲寿開沼博などの
「アカデミック・ジャーナリズム」などにも言及している。
大学のセンセイもしくは高学歴の書き手が
二次資料や学問から論考するという新しいノンフィクション。
それまでは一次資料というか
記事は足で書けというスタイル。現場主義。

ジャーナリズム、ジャーナルの語源は日々の記録。
銀行やデパートなどでは日計をそう呼んでいる。

話は戻るが、
新聞記事、ノンフィクション、フィクションの違いは何か。
厳密に考えれば考えるほどあいまいになってくる。
黒子の度合い、すなわち私見や思い入れを排除する度合いが
高い順は
新聞記事>ノンフィクション>フィクション。
そうなんだけどね。
リアルにこだり、ありのままに書く記事よりも
作家の虚構をブレンドした、ありのままに書かない小説の方が
リアリティがある場合がある。
「見てきたようなウソをつき」ってヤツ。
リアルとフェイク。
昨今は、当事者に都合が悪いと
フェイクというレッテルを貼られがちだが。

大宅文庫は広告会社勤務時代、
著名人インタビュー広告シリーズの
人選資料で半年に一度くらい通っていた。
ネットはまだ無かった。
京王線八幡山の駅を降りて
松沢病院の広大な敷地を横目に
狭い歩道をだらだらと歩く。
人名カードで雑誌記事のタイトルを選ぶ。
実に膨大な量が保存されていた。
該当するものを選んでコピーしてもらう。
実際インタビューでたずねると
違っていたりした。
記事のせいか、当人の心境の変化か、忘却。

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