- 作者: 大黒岳彦
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2016/08/27
- メディア: 単行本
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北風吹き抜く…おっと、JASRACに金払えって言われるかな。
目にゴミ、というよりも花粉を感じる。
『情報社会の<哲学>』大黒岳彦著を読む。
お題は、「グーグル・ビッグデータ・人工知能」。
プロフィールを見ると
東大の院からNHKのディレクター経由大学教授。
メディアの現場も知っているだけに、
各章とも濃く、鋭く、読んでいて小気味よい。
こんなところ。
「ビッグデータとは“ゴミの山”である。」
「そして「データマイニング」とは、こうした“生ゴミ”の山の
中からレアメタルの如き「価値物」を掘り当てようとする
“ゴミ漁り”の営みにほかならない」
(第2章「ビッグデータの社会哲学的位相」)
スモーキー・マウンテンか。
インターネットの出現によって社会はフラット化した。
功罪半々。つーか、罪の方が大きいような気がする、私見だけど。
作者はこう述べている。
「インターネットがもたらした“表現の自由”の拡大、と言えば
聞こえがよいが、従来であれば<マスメディア>という権威による
フィルタリングによって決して公の前に出ることのなかった、
「ヘイトスピーチ」が-一部略-ネット上に飛び交い、
そしてそれは今や「公道」にまで溢れ出している」
(終章 「情報社会において<倫理>は可能か?」)
<マスメディア>は、激しい土石流に対して
何もできない砂防ダムのようなものらしい。
子どもがちいさいとき言っていた。
「バカって言う人、自分がバカ」。
それに、ならえば
「フェイクって言う人、自分がフェイク」。
情報社会と哲学って遠い関係にあると思われるだろうが、
実はそうではないと。
作者は旧来の哲学や安直な、たとえば超訳なんたらには
否定的らしい。
たぶん次作か次々作あたりで
作者の考える『情報社会の<哲学>』がお披露目されそうだ。
乞うご期待。
注が長い。そういう本は注釈に要注意。
本文よりも得るものがある場合があるからだ。
索引もたっぷり。
浅漬けの卒論を書かなきゃいけないキミにも、ぴったりだ。