九条は窮状か 白鵬は休場

テレビやPCで安保法案の情勢を横目でにらみながら、
『戦争小説家 古山高麗雄伝』玉居子精宏著を読んでいる。
今朝、自転車の前かごに「戦争反対」と書かれたものを
つけて走っている爺さんを見た。
facebookを見ると、国会議事堂前のデモに
参加している友人もいる。

戦争は、若者層を戦力として
将来性のある彼らを無駄死にさせる。
生き残ったとしても、人生で一番いい時期を強奪され、
一生癒えない、心の傷が残る。

『戦争小説家 古山高麗雄伝』の感想は、後日。
まずは、10数年前、今は亡き書評サイトに投稿した
『プレオー8の夜明け 古山高麗雄作品集』の書評の再録を。
この部分が評伝につながるから。

 

≪声高に叫ばなくとも、それ以上に伝わるもの。≫

プレオー8は、「エイト」じゃなくて「ユイット」と読む。
だって、ヴェトナムは、フランスの植民地だったから。
本作には、サイゴン中央刑務所のきわめて平凡な捕虜の日常生活が
描かれている。食う、寝る、遊ぶ、働く。いつ身に覚えのない罪で処刑されるかもしれない、そんな死の恐怖と隣り合わせながら、塀の中で、主人公は草芝居に夢中になる。
主人公は、寒さをしのぐため、女形の男と裸で暖を取り合う。
男社会の中で男をめぐる三角関係が勃発する。

同じ捕虜体験をした大岡昇平は、日本の軍国主義アメリカ帝国主義を、モラリストの立場からきわめて理知的に糾弾しているが、作者は、淡々とリアリスティックに言葉を綴っている。

ただし、巻末の「著者から読者へ」によると、戦後25年経ってようやく作者は、
本作を結実することができたという。表現者は、何か大きな衝撃を受けると、
それが作品への引鉄となるのだが、すぐさま納得のいくものになるとは限らない。

ウイスキーではないが、やはり熟成が必要なのである。

極限状態に陥った時、人は、どんな行動に出るだろう。意外と、支配階級にあった人間が、あわてふためいたりする。エリートと呼ばれる人種が、打たれ弱かったりする。尻の穴まで広げてゴロニャンする者もいるだろう。しかし、大多数の人々は、現実をありのままに受け止め、生きるために、生きていこうとする。「仕方ない」だの「しようがない」とかつぶやきながら。

達観してしまうのか。開き直るのか。

忘却してしまうのか。忘れられるはずがあるものか。
作者は奥方から「あなたは、(生地である)朝鮮と戦争のことから一生頭が離れないのね」と言われると「そうだ」と肯く件(くだり)がある。

本書には、九つの短篇が収められているが、妻と二人で作者の父の出身地で、

今はダムの底に水没した村を訪ねる「七ケ宿村」も飄々とした夫婦のやりとり、年輪を感じさせる佳作である。哀しいことに、一生頭から離れないものに、亡くなられた奥方がプラスされたことだろう。亡妻のことを書いた「東林間のブタ小屋」を読んでみようと思う。この一文を引いて結びとしたい。

「生者には、哀しみを均(な)らす営みが必要なのであろう。哀しみに限らず、すべて、ものごとを薄め、均らして共有する営みが必要なのであろう。戦争や軍隊に反撥してみても、大岩を爪で引っ掻いてみるほどのことだというが、どのような時代にも、社会は大岩であり、人は薄めたり、均らしたり、虚妄を共有することに参加しなければ、他人と円滑
共存することはできないわけだろう」(「戦友」より)


ヴェトナムと言えば、開高健の『輝ける闇』。
ヴェトナム戦争の体験を小説化したものだが、
ここに出て来る屋台のフォーがうまそうで、うまそうで。

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