せめぎあい

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

『九月、東京の路上で』加藤直樹著を読む。
関東大震災時の東京での朝鮮人・中国人虐殺」に関する点在していた
当時の資料を丹念に集めて読み込み、再現。
なぜそうなったかを検証する。
当時の地図を眺めるだけでも参考になる。
千田是也の命名となった、千駄ヶ谷でコリアンに間違えられ、
危うく殺されかけそうになった。ぐらいのことは知ってはいたが。

「井戸に毒を入れた」「放火した」などのデマゴギー、流言飛語が
飛び交い、あたかもパンデミック化して、
自衛という名目で暴徒化した人々が残虐な行為に走る。
それが東京から関東近県に飛び火する。
その速さは、予想以上だった。

それは昔のことでさあ、いまはマスコミもちゃんとしてるし、
情報もSNSなどインターネットや瞬時に伝わるじゃん。
って、思っているそこの人。
いざ、そうなってしまうと、残虐行為に走ることは否めない。
それと情報が発達しているというが、
情報のけもの道ばっかが、増えているように思えてならない。
たとえば3.11以降の福島県放射能情報など
とんでもないツィートもあったし。
高速で大量に拡散されるデマゴギー
真実のような虚偽、虚偽のような真実。
詐欺師は外見は紳士。
ヘイトスピーチのずうと先にジェノサイドがある。
この本を読むとそう考えざるを得ない。

「90年前、私たちがよく知る東京の路上が、共感と「非人間」化の
せめぎあいの現場だった。結果として、数千人とも言われる人々を
殺してしまった都市に、私たちは今も住んでいて、
再びそのせめぎあいのなかにいる」

「共感と「非人間」化のせめぎあい」
罪と贖い。
なのに、右旋回は続くよ。か。

ブラタモリ」じゃ、やらないと思うけど。

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