たられば

ノモンハン1939』スチュアート・D・ゴールドマン著を読む。


きっかけは、録画しといたEテレ『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2014年度「知の巨人たち」第4回 司馬遼太郎』を見たから。
副題が「第二次世界大戦の知られざる始点」。
ノモンハン事件は暴走した日本の関東軍ソ連・モンゴル軍との小競り合いではなく、第二次世界大戦への引鉄となったという、資料を駆使しての、
ある意味、知的スリリングな内容。
この手の歴史に詳しくないぼくでも読むことができた。

結果は、ソ連・モンゴル軍が勝ったが、
日本は貧弱な戦備ながら善戦しただの、
やれ日本軍の死傷者数は違うだの、
ソ連軍の死傷者数は実際よりも少ないだの、
ネットで検索してみたら、評価がまちまち。

この本でも、各軍の戦略の思わぬ失敗や成功が記されているが、
最後は戦備力のあるソ連・モンゴル軍が勝つ。
日本軍は、この当時から捕虜になることを避け、名誉の戦死を選んだと。

ただ、ノモンハン事件を契機に日本はそれまでの北進ではなく
南進に大きく舵を切ったと。
その当時、ソ連にいまのように豊富な算出量・埋蔵量の油田が開発されていたら、
話は変わるが。

「日本がノモンハン赤軍に惨敗を喫せず、なおかつ独ソ戦の時点で
南進に深入りしていなかったとしたら、運命を喫する1941年の判断も
大幅に違うものになっていたかもしれない」



「日本が独ソ戦への参加と英米攻撃のいずれかを選ぶ必要に迫られたと
したら、北進が危険の少ない進路に映り、関心を惹き付けた可能性はある」


もし北進を続けていれば、歴史は変わったかもと。

類似の引用だけど。

ノモンハン赤軍に惨敗したことは、日本に深い爪あとを残し、
その記憶は1941年になっても大本営のなかにわだかまっていた。
ドイツとともにソ連を攻撃するのではなく、アメリカと干戈を交えるとの
決断を日本が下したのも、ひとつにはそのためである」

坂本竜馬や秋山兄弟のように、取り上げるべき個人は存在しない。
のっぺらぼうのような、あるいは、みな同じ顔つきの集団。
それが近現代の戦争ではないだろうか。
だから司馬遼太郎は、ノモンハン事件を小説にしなかったのだろう。

掲載されている地図で見ると、日本の傀儡国家・満洲の広大さに驚く。

で、次は、ノモンハン事件にフォーカスを当てて
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を再読してみよう。
違う発見があるかもしれない。

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