重ね描き

『科学者が人間であること』中村桂子著を読む。
とても読みやすいのだが、かなり重たいことを述べたり、
たとえば今日の科学者の在り方、研究への取り組み方、
視野の取り方などから、科学系の教育まで言及している。
んで、作者が感化された科学者、哲学者、文学者の思索のエッセンスが
取り上げられている。
ゆえに、あえてスローリーディングしつつ、内容を反芻してみる。

原発をはじめとして
「今、こうした科学や科学技術のあり方に疑問が出されて」いる。
それをブレイクスルーには、大森荘蔵の唱える「重ね描き」という方法が
有効な手立ての一策だと作者は言う。


「人間が自然をどう見るか、大森の考え方のキーワードがあります。

「略画的」な見方と「密画的」な見方です」


「日常、自分の眼で物を見、手で触れ、舌で味わうという形で外界と接している時に私たちが描く世界像を、大森は「略画的」と呼びます」

 


「それに対して近代科学が生まれたことにより可能になった
世界像の描き方を大森は「密画」と呼んでいます。-略-
可能な限り最小の単位まで還元し、分析的にものを見ていく
見方を指しています。基本的に科学は密画を描くものであり、
世界を密画化していくというのが大森の考え方です」


要するに近代科学が「密画」を追求していく余り、
―当然っちゃ当然だけど―
科学も「略画」を見直そうと。
木を見て森を見ず。というのか、
養老孟司先生いうところの
「スルメを見てイカがわかるか」ってことだよね。

「「略画的」な見方と「密画的」な見方」を並列化していかないと。
複眼の思想。

作者は、その先人として宮澤賢治南方熊楠を挙げている。
データを捨て野に出よう!

ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)が、 
ハイデガーの「世界内存在」(das In-der-Welt-sein)に、
インスパイアを与えたことも、この本で知った。

科学者もそうだけど、『政治家が人間であること』というのも、
同じくらい重たいテーマだけど、誰が書けばいい。見当もつかない。

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