金田一耕助生誕100年

本陣殺人事件 (角川文庫)

本陣殺人事件 (角川文庫)



『本陣殺人事件』横溝正史著を読む。
探偵金田一耕助のデビュー作。
日本で本格的な密室殺人事件ものだそうだ。
密室殺人の解明よりも
金田一以下登場人物のやりとりや当時の世情にひかれる。
都会が人工的な魔窟なら、
地方は、その土地の呪縛。か。
氏素性を隠蔽して匿名でも生きることのできる都会と
異邦人は基本的に受けつかない地方。
家の格付け、刀自などが、ここにも出て来るし、
貞操観念とか。
家督を継ぐ嫡男とそうでない非嫡男の扱いの雲泥の差も改めて知る。
金田一耕助は、今年で生誕100年。

金田一耕助の生涯は、これ。年譜を引用。

大正2年(1913年) 
東北地方に生まれる。金田一の誕生年について、横溝(明治35年(1902年)生まれ)本人は、
「かれは私より11歳年少である」と述べている。金田一耕助の誕生日は不明だが、
横溝正史は読者との座談会で、「金田一は早生まれである」と語っている。

昭和6年(1931年)
4月、地元の中学を19歳で卒業後、同窓生の風間俊六と共に青雲の志を抱いて上京し、
某私立大学(日本大学予科の薬学系という説がある)に籍を置いて、
「神田あたりの下宿をごろごろ」していた。中学時代の先輩の大学生の紹介で
歌舞伎役者・佐野川鶴之助の後援会である丹頂会に入会。また、この時期に映画女優・紅葉照子のファンになる
。大学入学後、一年もたたぬうちに日本の大学がつまらぬような気がしてふらりと渡米。

昭和7年(1932年)
渡米先で映画俳優・ジャック安永と知り合う。皿洗いなどを経験しながら一時は麻薬の悪癖に溺れるが、
19歳のときにサンフランシスコの日本人間での殺人事件を解決する。この時在留日本人会の席上で
出会った岡山県の果樹園主、久保銀造に学資を援助してもらいカレッジに通う。
またのちの探偵業を念頭に、「多少なりとも医学的経験を積んでおきたい」と、
夜間は病院に勤務して看護夫の見習いを務めている。

昭和10年(1935年)
カレッジを卒業して帰国。久保銀造に無心して5千円(当時の相場参考:国鉄初乗り5銭、銭湯7銭)の
援助を受けて東京に探偵事務所を開設。開設後半年ほどは依頼人もなく商売にならなかったようだが、
やがて立て続けに大きな事件を解決して、“名探偵・金田一耕助”の名を世に知らしめた。
また、この時期に同窓生だった風間俊六と再会している。

昭和11年(1936年)
8月25日、稲妻座の歌舞伎役者失踪事件。

昭和12年(1937年)
11月27日〜29日、「本陣殺人事件」を解決。この事件で岡山県警の磯川常次郎警部と知り合う。

昭和15年(1940年)
応召して中国へ。

昭和17年(1942年)
転戦を重ね、ニューギニアのウェワクまで南下。部隊が全滅に等しい打撃を受けて敗走。
他の部隊との再編成によって、川地謙三、鬼頭千万太と知り合う。ここで金田一は戦友たちの爆死体や病死体を
常に注意深く見守り、死後硬直の状態について勘を鋭くし、復員後の探偵業に生かしている。

昭和18年(1943年)
ウェワクの前線に部隊が取り残され、本年以降戦闘は全く無く、金田一の部隊は熱病と栄養失調の中、孤立状態に陥る。

昭和20年(1945年) 8月15日、ウェワクで終戦を迎える。

昭和21年(1946年)
復員。戦友の依頼により「百日紅の下にて(9月初旬)」「獄門島(9月下旬〜10月上旬)」
「車井戸はなぜ軋る」などの事件を解決。「獄門島」事件にて鬼頭早苗と知り合い、
「獄門島を出て一緒に東京へ行こう」と申し込むが断られる。
10月上旬に岡山の探偵作家・Yを訪ね、伝記作家として親交を持つ。
また、帰郷する汽車の中で風間俊六と再会。この頃に京橋裏(銀座裏)の三角ビル5階に
「金田一耕助探偵事務所」を開設する。
11月中旬「蝙蝠と蛞蝓」

昭和22年(1947年)
三ヶ月ばかりで事務所を閉めてしまい、風間の二号(愛人)節子の営む大森の割烹旅館「松月」の離れに転がり込む。
3月下旬「暗闇の中の猫(原題「暗闇の中にひそむ猫」)」を解決。この事件で警視庁の等々力大志警部と知り合う。
3月26日、28日〜30日「黒猫亭事件(原題「黒猫」)」
4月中旬〜26日「殺人鬼」
9月28日〜10月11日「悪魔が来りて笛を吹く
11月中旬「黒蘭姫」

昭和23年(1948年)
「夜歩く(5月5日〜9日)」「八つ墓村(5月中旬〜9月初旬)」事件を解決し、
ことに「八つ墓村」事件で多額の報酬をふところにした金田一耕助は、探偵作家・Yと伊豆へ旅行する。
9月初旬、10月初旬・中旬、12月、翌年1月「女怪」解決。「女怪」事件の関係者・持田虹子に懸想するも、虹子は自殺。

昭和24年(1949年)
「女怪」事件で受けた失恋の痛手で、一カ月ほど北海道を放浪する。
秋「人面瘡」
10月上旬・中旬、11月1日〜3日「死仮面」
10月18日〜12月15日「犬神家の一族
11月5日〜8日「鴉」

昭和25年(1950年)
10月18日〜20日、11月25日「迷路荘の惨劇」

昭和26年(1951年)
3月下旬「仮面城」
4月上旬「大迷宮」
5月上旬、17日〜31日、6月6日〜中旬「女王蜂」
7月上旬・中旬「金色の魔術師」
7月下旬「燈台島の怪」
9月1日〜7日、13日、10月中旬「黄金の指紋(原題「皇帝の燭台」)」

昭和27年(1952年)
7月下旬〜8月2日「幽霊座」
10月17日〜18日「湖泥」
11月6日、20日、28日、翌年1月10日「睡れる花嫁(原題「妖獣」)」

昭和28年(1953年)
1月「黄金の花びら」
6月9日、中旬「花園の悪魔」
7月15日〜27日、9月上旬「不死蝶」
8月21日、29日、9月4日、7日、20日、21日「病院坂の首縊りの家」(前半部。「生首風鈴事件」の発生と迷宮入りまで。)
探偵作家横溝正史と事件現場を共にする。
9月3日、15日「生ける死仮面」

昭和29年(1954年)
3月24日、25日、4月25日、5月3日〜下旬「幽霊男」
5月12日、24日、28日「堕ちたる天女」
5月末「廃園の鬼」
6月中旬〜10月中旬「迷路の花嫁」
8月下旬「蜃気楼島の情熱」
10月23日、24日「首」

昭和30年(1955年)
7月25日〜8月24日、9月21日「悪魔の手毬唄」
10月3日、16日、30日、11月3日、8日、翌年2月中旬「三つ首塔」
10月25日、26日、12月15日、翌年1月中旬・下旬「吸血蛾」

昭和31年(1956年)
3月5日〜中旬「蝋美人」
3月8日、15日「毒の矢」
3月中旬、4月5日「黒い翼」
3月下旬、4月中旬・下旬「死神の矢」
7月29日、30日「夢の中の女」
8月初旬〜下旬「鏡が浦の殺人」
8月末「傘の中の女」「七つの仮面」
秋に「華やかな野獣」
11月7日、12月10日「霧の中の女」
11月24日〜30日、12月5日「トランプ台上の首」
秋から12月20日〜26日、翌年1月末「女の決闘(原題「憑かれた女」)」

昭和32年(1957年)
1月中旬、「松月」の離れから世田谷区緑ヶ丘町の高級アパート・緑ヶ丘荘の二階三号室に転居する。
3月2日、4日〜上旬「泥の中の女(原題「泥の中の顔」)」
3月20日、25日「洞の中の女」
4月5日、12日、5月5日「鞄の中の女」
5月上旬、16日、18日「鏡の中の女」
5月7日〜15日、31日、6月15日〜17日「魔女の暦」
6月上旬「貸しボート十三号」
7月末〜8月6日「赤の中の女」
8月20日〜25日、9月18日、20日、10月上旬「支那扇の女」
秋に「檻の中の女」
12月20日、25日、翌年1月下旬「悪魔の降誕祭」

昭和33年(1958年)
3月18日、25日「柩の中の女」
5月19日〜21日、28日「火の十字架」
5月25日「薔薇の別荘」
5月28日「瞳の中の女」
6月29日、7月25日、26日、8月15日、16日、9月4日、5日、10日、18日、10月下旬「悪魔の寵児」
8月16日、17日「香水心中」
9月中旬「霧の山荘」
10月5日〜12日、18日、23日、25日〜28日「迷宮の扉」

昭和34年(1959年)
3月上旬〜4月上旬は関西方面へ。
4月5日、26日〜28日「壺中美人」
7月25日、26日、8月5日「スペードの女王
12月22日〜24日、28日「扉の影の女(原題「扉のかげの女」)」

昭和35年(1960年)
6月5日、8日「猫館」
6月22日〜25日、7月22日、8月12日「悪魔の百唇譜」
8月5日、7日、9日、15日「雌蛭」
8月14日〜16日「仮面舞踏会」
9月27日、10月1日、11月3日「日時計の中の女」
10月11日、30日〜11月1日、4日、6日「白と黒」
11月25日、26日、12月3日、5日、6日、24日〜27日、翌年1月23日、24日「夜の黒豹(原題「青蜥蜴」)」

昭和36年(1961年)
2月19日、23日「蝙蝠男」

昭和42年(1967年)
6月23日〜7月14日「悪霊島」

昭和48年(1973年)
最後の事件「病院坂の首縊りの家」4月1日、8日〜15日、23日、30日解決
(後半部。ジャズ・コンボ「アングリー・パイレーツ(怒れる海賊たち)」
および、本條写真館にまつわる連続殺人事件と昭和28年に起こった「生首風鈴事件」の真相を明らかにする)。
その後ロサンゼルスへ。関係者が八方手を尽くして捜したが消息不明であった。
しかし、横溝本人の語るところによれば昭和50年(1975年)に帰国しており、余生は日本で送ったようだ

金田一耕助 - Wikipedia


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