Stayin’ Alive

『歴史哲学への招待』小林道憲著を読んだ。


タイトルは、難しそうだが、中身は、歴史とは何か。
あるいは、改めて歴史について考えてみよう。というもの。
哲学と歴史学と科学をボーダーレス化して
述べられている。


素朴な疑問その1。
過去の出来事である歴史から果たして現在抱えているあるいは
未来への答えやヒントは学べるのだろうか。

「過去を理解するということは、現代の目を通して過去を見ることです。
すべての歴史が現代に支えられており、過去と現代が同時代性をもつからこそ、
わたしたちは、たとえば戦国時代の人々に学ぶこともできるのです」


ややこしい話をすると、過去の人間が生きていたのは、
彼らにとって現代だということ。
モーツァルトの音楽も生きている時代には
クラシックではなく現代音楽だったはず。


素朴な疑問その2。
歴史は進化しているのだろうか。
確かに工学的には進化しているといえるだろう。
でも、民族紛争や戦争はまだなくならない。
なくなることは有り得ないかも。

「万物は、戦いの中で生成消滅します。生は死になり、死は生になります。
構築されたものは没落し、形つくられたものは滅びます。絶えることのない
変動と戦いの中で、歴史は盛衰するのです」

平家物語』の「盛者必衰の理をあらわす」か。
ふとドーキンスの唱えている「文化の遺伝子ミーム」の関わりは
どうなのかと考える。

「歴史には切断面があります。歴史的時間は現在において非連続であり、
この非連続な断層を境にして、未来は過去を乗り越えます」

確かに「歴史的時間は非連続」だと思う。
「切断面」を生じさせるのは、突然変異だろうか。
非連続でありながらも歴史は、その都度上書きされ、保存される。

「わたしたちは、歴史の中にあって歴史を観測する歴史内観測者です。
−略−たとえ歴史を歴史の外から見ようとしても、それ自身がまた歴史の
中に組み込まれてしまいます」

ベルクソンいうところの「内破」とイコール。
自分の人生、自分が主役。オリジナルを生きろってことかな。
いささか説教くさくなる。

結びとしてここを引用。

「人間は物語る動物です。−略−人間は、個人にしても、共同体にしても、
自己自身を理解するためには、その歴史を語らなければなりません。−略−
しかし、語りには、虚偽がいつも忍び込んできます。−略−
歴史は語られるとともに、騙られます」

歴史にねつ造はつきものだし、
当事者の都合のいいように解釈され、記憶される。


歴史のエピソードをふんだんに盛り込み、
楽しく読むことができる。
たとえば、ジャレド・ダイアモンドあたりが好きな人には、
一読をおすすめする。


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