東日本大震災三回忌

レヴィナス 無起源からの思考 (講談社選書メチエ(333))

レヴィナス 無起源からの思考 (講談社選書メチエ(333))


東日本大震災、三回忌。
復興は、港に巨大な堤防をつくるだけじゃないだろうに。


レヴィナス 無起源からの思考』齋藤慶典著を読む。
レヴィナスを知ったのは内田樹の処女作『ためらいの倫理学』だった。
デビュー作がナンバーワンだと思う。おっと、余談。


レヴィナスへのラブレターつーかファンレターとも取れる。
作者流に咀嚼されたレヴィナス
論考というよりは硬質なエセーに近い。
しかも体温が高い。
ヌーボーロマンにも思えるし、
講談社選書メチエからではなくて同じ版元の雑誌『群像』に
掲載してみたら、また、見え方が違う。


一筋縄ではいかないレヴィナス
禅問答と思ってもあながち過ちではないだろう。
独特というか一般的な意味合いとは異なるタームに
馴れると、おぼろげながら考えていることが見えてくる。

「私を『あなたに向かって』行為すべく命ずるもの、
すなわ他人=他者とのもはや断ち切ることのできない関係、
これをレヴィナスは「倫理」とも呼ぶ」

「この関係はきわめて危険な関係である」

「なぜなら―略―ここにのみ殺人の可能性が胚胎するからである。
―略―すなわちあなたこそ、私が憎み・殺したいと欲しうる唯一の
者なのだ。しかしこの危険のないところに、およそ愛や平和を語る
余地もまたないことを忘れないようにしよう」

愛憎裏腹。昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵。

「約束は守られねばならない。このことを確保するために、倫理は
可能なあらゆる手段に訴える」

約束を順守するには暴力という手段も禁じ得ない。

「エゴイズムを保証するための責任−「リベラリズム」」

作者の小見出しの引用だが、
自由と平等は並列関係でないことを、レヴィナスは教えてくれる。

「エゴイズムの手前にある責任−「他者のために」」

同様に作者の小見出しの引用だが、
「他者のために」。換言すれば「あなたのために」。
とか言っちゃって、その実、自分のためってこと。

「正・不正を可能にした力が、それにもかかわらず「悪しき力」である
可能性に目覚めているのは、一人私の「欲望」する理性のみなのだ。
計量する理性が行うこの力の行使を制度的に支え、実行力あらしめるのが、
国家と呼ばれる政治システムである。
いまや理性と国家、理性と政治は同じものの画面、表裏一体なのだ」

フーコーの「生政治」は、上記引用部分を巧妙化したものだと思う。
レヴィナスは、人間を、社会を裸どころか骨にして晒してしまう。


作者は「ベルリン滞在中」に本書を書いたそうだ。


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