神風か

徳川夢声のあかるみ十五年

徳川夢声のあかるみ十五年

都知事選は、投票所へ行っても現知事以外の誰にするか迷った。
そういう人は案外多かったかもしれない。
結果、神風ならぬ神地震による神津波と神原発事故が、
四選に幸いしたのだろう。
にしてもパチンコ屋と自動販売機が電力無駄遣い批判とは。
敵(もしくは仮想敵)をつくり、わかりやすく、手短に批判する。
で庶民の熱狂をあおる。
戦略PRの空気づくりにぴったしあてはまるなあ。


副業をたんたんとこなしつつ、『徳川夢声のあかるみ十五年』を読む。
徳川夢声のくらがり二十年』が活動弁士になるまで・なって
隆盛をきわめるまでを書いたもの。
本作は、映画がサイレントからトーキーの時代になって
弁士が斜陽となって俳優に転進した頃を書いたもの。
PCL(今の東宝)の当時の映画の作られ方や俳優仲間のことなどが
立派な中高年者の一人であるぼくとて夢声は、記憶にない。
ただ都会の洒脱なユーモアの先駆けということを、
小林信彦のエッセイで読んでずっと気にはなっていた。
ここに納められた原稿の多くは雑誌『新青年』に掲出されたものを知る。
今となっては文体は古臭いが、書かれたものは確かに面白い。
自虐的なところがあるけれど、戦前の東京の山手的な知性と品がある。
この人も自分を客観的に見ることができたようで、
ものの見方がドラッカー言うところの“傍観者”と類似している。


締め切り間近の原稿を、うなりながらまとめる。


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