咀嚼中

ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)

ポストモダンの共産主義 はじめは悲劇として、二度めは笑劇として (ちくま新書)


ポストモダン共産主義スラヴォイ・ジジェク著の引用と感想を。

「現代はことあるごとにポスト・イデオロギーの時代であることを
標榜しているが、このイデオロギーの否定こそ、われわれがかつてないほど
イデオロギーに組み入れられていることの決定的証拠である。
イデオロギーはつねに格闘の場−とりわけ過去の伝統を現在に帰属させる
闘いの場だ」


関係ないかもしれないが、「ポスト○○○」っていうと、
字面はカッコいいが、よーく考えると実態は案外空疎だったりする。

「ハートとネグリが「コモンズ」と呼ぶもの、−略−これを私有化することは
暴力行為に等しく、いざとなればやはり暴力をもってしてでも
抵抗しなくてはならない」

「目には目を」か。このあたりはジジェクは勇ましい。
戦後の闇市マーケットにジープで乗り込んで
縄を張って囲い込みする暴力団をイメージするが。

3つのコモンズ

「文化のコモンズ −略−主には言語すなわちコミュニケーションと
教育の手段。公共交通、電気、郵便などのインフラもこれにあたる」

「外的自然のコモンズ 公害や乱開発に脅かされている石油から
熱帯雨林、自然環境そのものまで」

「内的自然のコモンズ 人類が生物として受け継ぐ遺産。
新しい遺伝子工学により、文字どおりの意味で人間性が変化した
「新人類」の創出が、現実味を帯びてきている」

3番目のコモンズ、映画『ガタカ』あたりを引き合いにすりゃいいのに。

マルクスの「物象化」の重要性を訴えている。

「現代の資本主義では、客観的な市場の「物と物との関係」は偽りの
人格化をほどこされた「人と人との関係」という形で現れがちである、と。
そしてハートとネグリはこの罠に陥ったように見える。
彼らが直接の「生の生産」と称揚するものはこの種の構造的な幻想なのである」

「しかし「人と人との関係」が「物と物との関係」に置き換わることの
「疎外化」作用をむやみに嘆く前に、そこに解放化という逆の効果も
あることを明記したい。「物と物との関係」へのフェティシズム的置換に
よって、フェティシズムの対象ではなくなった「人と人との関係は、
「形式的」自由と自律を得られるのだ」

んーん、この言い回しがジジェクなんだけど。まだうまく咀嚼できない。


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