進化の存在証明

進化の存在証明

進化の存在証明

『進化の存在証明』リチャード・ドーキンス著からの感想メモ。

「生物学者は、「島(island)」という単語を、水に囲まれた小さな陸塊に
限らず、それ以外のものを指すのに使うことがよくある。
淡水魚の視点からすれば、湖は一つの島である。
生息不能な陸地に取り囲まれた生息可能な水の島なのだ」

ヨーロッパへ行って世界地図を見ると、日本は文字通り
FarEast(極東)であることを実感する。
にしても、なぜ、大陸じゃなくて「島(island)」に
惹かれるのだろう。

「コウモリの飛ぶことができる翼と、ヒトのものをつかむ手は
「相同」なのである。共通祖先の手−および骨格の残りの部分−が
取り上げられて、異なった子孫の系譜に沿って、部分ごとに、
異なった方向に異なった程度だけ、引っ張るかあるいは
押し縮められてできたものだ」

肩甲骨は翼の名残。は文学的な表現かも。
尾てい骨はシッポの名残。は、そうだと思うが。

「進化は一つの生体の形を取り上げ、別の形になるように
誘導することでは、けっして起こらない。
あらゆる生体は胚として成長することを思い出してほしい。
自然淘汰によって選ばれた突然変異は、体のある部分の成長速度を
他の部分と相対的に変えることによって、発生中の胚にはたらきかける」

「遺伝子データベースは、過去の環境、祖先が生き残り、
そうすることを助けた遺伝子を伝えていった環境についての
情報の貯蔵庫となる。−略−この情報の貯蔵庫は、
いついかなる瞬間にも、個々の生物の体内に収まっているのだが、
長期的にみれば、有性生殖がおこなわれ、DNAが体から体に移るときに
シャッフルされるところでは、生き残りのための指示に関する
データベースは、種の遺伝子プールということになるだろう」

「種の遺伝子プール」―作者のこういう修辞にめちゃくちゃ弱い。

「私たちが存在するという事実そのものが、ほとんど耐えがたいほど
驚くべきことである。私たちが自分に多少ともよく似た動物の豊かな
生態系に取り囲まれ、私たちが究極的に栄養を依存している自分たちに
あまり似ていない植物に取り囲まれ、さらに、私たちの遠い祖先に似た、
そして私たちが終わりの時を迎えたときに朽ち果てて還るべき細菌に
取り囲まれているという事実もまたそうである」

生物学と哲学と宗教(縁起とか)に、跨る深淵な言説。
なのに、なぜか『もやしもん』と『風の谷のナウシカ』に出てくる腐海
思い浮かべる。


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