- 作者: 橋爪大三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/17
- メディア: 新書
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請求お願いメールを恐る恐る出す。
最悪のことを想定していたが、幸いにも快諾いただく。
日々是綱渡り。ゲンシュクなる、じゃなくてゲンキンのための綱渡り。
にしても、ますます筆一本じゃ
−筆じゃないけど、キーボードというのも変だし−
厳しい状況のようだ。
副業の時間を大幅に増やすのか。
あるいは、いっそのことハケンで
−オーバーエイジ枠で雇ってくれるのなら−
固定給を得て、週日はオフィスワーク、
従来のフリー仕事は夜間や週末作業に行うのか。
窮極の選択をしなきゃいけないようだ。
「ヴィトゲンシュタインが、言語ゲームのアイデアを通じて言いたかったのは、
この世界の意味や価値は、権力などによらなくても、
人びとのふるまいの一致によって、ちゃんと支えられているということだ」
第一次世界大戦の惨状を最前線で体験したヴィトゲンシュタインは、
政治家の演説の修辞なぞは最も嫌うんだろうな。
「法のルール説は、国家権力に反対しない。そのかわりに、
国家権力も、ルールに従うべきだとする。
法や権力は、強制力(暴力)の裏付けがある」
そしてそれは「人びとの承認にもとづく」と。
「人びとの承認」って闇金かなんかの金銭消費貸借契約証書を
ろくに読まないでハンコつくようなもんだ。
「利息がベラボウじゃなかあ」と言うと、」
「ほら、認めたじゃないっすか」ぺらぺら(証書をなびかせる音)
「ポストモダン思想は、「大きな物語は終わった」と宣言する」
すると、
「この世界(自由主義社会、資本主義経済)に、いやおうなしに
閉じ込められている、という感覚になる」
仮想敵が喪失すると閉塞感を感じるのかも。
で、作者のポストモダン思想批判。
まんま「セカイ系」で括れちゃう。
「批判のやり方がどれだけ、目新しいか。−略−
批判のやり方が、どれだけ洗練されているか。批判がファッションに
なったので、ポストモダン思想は、消費社会に受け入れられた」
いま思うと、ニューアカ以降こうだった。いまもか。
おもしろ表現主義というのか。
「コミット」することは、ダサイ、クサイって風潮が。
「ヴィトゲンシュタインは、意味や価値の生まれる土台、
言語ゲームを発見した」
フーコーの唱えたエピステーメーの土台、土台の土台。
そう理解していいのだろうか。
ヴィトゲンシュタインLoveを感じる。