- 作者: 村上陽一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/03/28
- メディア: 文庫
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暑い日。都議選は民主に風が吹いた。
昨日、投票所の前の掲示板で最終確認している人が
多かったもんな。浮動票が、民主党に流れ、
ミニ政党や無所属まで吹っ飛んでしまった。
『あらためて教養とは』村上陽一郎著の感想メモ。
「十二世紀までのヨーロッパは古典的な時代のギリシャ・ローマのことを、
少なくとも学問の上ではほとんど知りませんでした。
つまりアリストテレスがどういう学問をやったのか。
あるいはプラトンがどういう本を書いてどんなことを主張したのかということに
ついて、ほとんど知らなかったといっていいと思います」
じゃあ、どのようにしてアリストテレスやプラトンを知ったのか。
「(イスラム世界が)アラビア語に翻訳した」著作を
「一生懸命ラテン語に翻訳した」と。一種の逆輸入みたいなものか。
イスラム世界が残したのは、アラビア数字とコーヒーと
クロワッサンだけじゃなかったんだ。
科学哲学者らしい発言として。
「理科教育は理科という教科の中だけで終ると考える必要はない。
国語の中でも、社会の中でも、取り上げることはできる。
これは逆も真で、社会の時間の中で理科が取り上げられるように、
理科の中で、社会の問題も考えることもできる」
という風になりつつあるようだが、これは理系・文系両刀使いの先生が
存在しなければ成立しないし。
「現代の教養の一つの重要な意義は、可能な選択肢をできるだけ
多く体験すること、あるいはその機会を提供すること、そこに
あるのだと、私は考えています」
「私が卒業した東京大学の教養学部教養学科のモットーは、
<later specialization>直訳すれば「普通より遅れて専門化を
目指す」ということになります」
はは、即戦力とは対極的。また、この即戦力もクセ者で、
結局は、小手先というのか、伸び悩んでしまう。