帝国の建設

ポル・ポト―ある悪夢の歴史

ポル・ポト―ある悪夢の歴史

ポル・ポト ある悪夢の歴史』フィリップ・ショートを2年越しで読了。
ともかく分厚いが、そっから稀代の殺人者というイメージしかなかった
ポル・ポトの生涯を知ることができる。
作者の立ち位置がニュートラルよかポル・ポト側じゃないかと
批判されたようだが、書くにつれ、実像が見えてくると、
意外とそういうものじゃなかろうか。

「その後(1975年クメール・ルージュ<カンボジア共産党>が政権を掌握し
て以降−註:ソネ)3年にわたり、人口700万人のうち150万人が、
サロト・サルの発想を実現しようとして犠牲になる。
処刑されたのはごく少数。残りは病死、過労死、または餓死だった」

『キリング・フィールド』を映画で見た人も多いと思うが、
南京大虐殺のように、そんなには虐殺されなかったと、
数(量)の話になっていたようだが、
実際、殺された無辜の人々がいることは事実なのだ。

ポル・ポトことサロト・サルは、1950年代末にフランスへ留学する。
時はサンジェルマンデュプレ全盛期。
実存主義がトレンドとなり、「黒づくめのジュリエット・グレコ」が
時代のヒロインだった。
ひょっとしたら、ポル・ポトボリス・ヴィアンは接近遭遇していたかもしれない。
裕福な階級出身ではない彼は、幼い頃から苦労をしてきた。
社会の仕組みや世間を肌で知っていた彼は、雄弁でなかった。
いつも笑みを浮かべている穏やかな青年だったとか。

フランス共産党的に言えば、サルの学歴の低さは重要ではないどころ
か、むしろ強みだった。1950年代前半のフランス共産党は、
むしろ反知性派だったのだ」

庶民派ヒーローは、傀儡にうってつけなのだろう。

で、毛沢東の思想を雛形にする。

毛沢東は、植民地や半植民地・半封建国家における革命には以下の
二段階が必要だと論じた。−略−第一段階が「すべての革命階級から
なる連合独裁政権下の国家」を築く。
そして第二段階が「プロレタリアート独裁」の社会主義国家を築くの
である」

カンボジア共産党は−略−下位中流階級の農民を地方の
「セミ・プロレタリア」、そして土地のない農民を
「労働階級の根幹である(中略)革命の活力源」と分類した」

じゃあ、なんであんな惨劇が生じたのか。
クメール・ルージュという組織が勝手に動き出し、
仮想敵であるインテリゲンチャ層を手はじめに
血祭りにあげたようだ。ちょうど紅衛兵が、
歯止めが利かなくなったように、だ。
ポル・ポトの掲げた理想の共産主義国家は、
人々に飢えと極貧をもたらし、希望をも失わせ、
クメール・ルージュは「内部崩壊」していく。
一人一人は温和であっても集団になると、殺人集団と化す。
臨界点はどこなんだろう。
月並みな表現だけど、平時に人一人殺せば殺人だが、
戦場で多数殺せば英雄と称される。


訳者あとがきでカンボジアの惨劇は、ポル・ポトよりも
シアヌーク政権にあったそうだ。
要するに国王の周りはYesマンばっかで、有能な官吏を含め
インテリゲンチャ層はスポイルされたと。
当然、そこには米ソ、資本主義vs共産主義代理戦争的ものもあったわけで。
壮大な失敗作を見る思い。
少し読んでは、考えて。その繰り返し。
やっぱりガザのニュース映像と重なってしまって、苦い読後感が残る。


参考として『ウィキペディア(Wikipedia)』
クメール・ルージュ
ポル・ポト


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