黙々と

小説の自由

小説の自由

3連休は、校正と原稿書き。午前中に届いた資料本読み。
合間に気分転換で近所まで買い物に行ったり、図書館に行ったり。そんなとこ。
図書館で小説とは何だ(勝手に命名)シリーズ三部作の最初の作品『小説の自由』保坂和志著を借りて読む。
どうしてこんなにツボにはまったのかは知らないが。
一人称と三人称の違い、違ってるようで違わない。とか、
読書には、書くための読書と読むためだけの読書があり、前者は不遜な読み方だと。
相も変わらず作者は、前者=「批評家・評論家・書評家」の類に厳しい。
要するに全然わかっちゃない、誤読だと。
でも、誤読は誤読でありじゃないかとぼくは思うけど。
ぼく的にピカイチの箇所を引用。

「小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、
視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ。
作者の意見・思想・感慨の類はどうなるのかといえば、その運動の中にある」

ほぼ同じことを『シネマ1*運動イメージ』ジル・ドゥルーズ著で見つけた。
小説をシネマに、文字を映像に置換されたし。


サカキバラ事件のとき、コメンテーターに呼ばれた
心理学者か法医学者かなにかがTVのワイドショーで
深読みし過ぎたのかかなり大ハズレな犯人像を推理していた。
今回の元厚生次官宅襲撃事件とてマスコミが自ら祭り状態になっていたけど、
そんなに騒ぐから、模倣犯が出現するんじゃないだろうか。


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