まだら

肝心の子供

肝心の子供

午前中、病気になっていたクチナシの枝切り。
久しぶりの、のこぎり作業。
マッド・ガードナー。
「泣ぐ子はいねが…」


気なっていた『肝心の子供』磯崎憲一郎著を読む。
短編なのに、この深さ、広さ、完成度、知性は何なんだ。
見事なまでの現代文学のメインストリームをいく作品。
ブッダとその子と孫の物語。
虫愛でる孫の逸話が微笑ましい。
と書くと、歴史ものって気がするが、決してそうではない。
普遍的なもの、原形質っていうのか。
とかくぼくたちは、時代にリンクしているかだとか、
同時代性だの、トレンディだの、そういうものを気にし過ぎなのかもね。
特にこの小説が受賞した『文藝賞』は。
かといってその裏返しの神話だの伝説だのってのも、ちと食傷気味。
中身は似てないけど小説の枠組みが中島敦の『山月紀』あたりにも通じるものが。
「僕は誰にも似ていない」という秋山晶のコピーが浮かんだ。
小説もひょっとしたら、ブルーオーシャン戦略が使えたりして。


ようやくインタビュー原稿にかかる。
取材ノートの象形文字をパソコンに打ち込む。
記憶がまだらになっている。
しゃあない、テープチェックするか。


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