五輪漬

盗作の文学史

盗作の文学史

TVでオリンピック中継垂れ流し。
五輪漬でうつけ者。
ビンボー人は、地上波TVの視聴時間が長いそうだが、
そうかもね。


そうそう、『<盗作>の文学史』栗原裕一郎著を読んだんだ。
豊富な盗作事例を知る中で、
盗作は、なぜいけないのか。なぜ人は盗作をするのか。
と基本的なことをもう一度考えてしまった。
パロディ、パスティーシュ、オマージュ、剽窃、パクリなどなど。
よく考えれば、線引きは困難。
この本に掲載されているオリジナルと盗作の部分比較は、
あくどいのもあり、そうでないのもある。
日本文学黎明期は、西洋文学をネタ本にしたそうな。
著作権は理解できなかったようだ。いまの中国みたい。(図A参照)


盗作はモラルに反するからいけないのか。
本ネタの作者の著作権を侵害する違法行為だからいけないのか。
新人賞をもらって次回作が書けずに、やまれずパクって、それがバレて
消えた作家もいる。しかし、ベストセラーを産む作家は、
出版社にとって金の卵を産むガチョウなので、
しばし自粛させてから、復活させる。
ギョウカイ内の暗黙の了解なのだろう。


なぜか女性作家に盗作疑惑のチェックが厳しいような気がするのは、
文壇が男社会で、作家になれなかった編集者・記者のルサンチマンなのだろうか。


公募の文学賞でなぜ審査員や、その前の過程の下読み人が盗作を見抜けないのか。
そりゃ無理だろう。古今東西の文学はもとより、ラノベ、ケータイ小説、オンライン小説
ポルノ小説からマンガ、映画まで表現は拡散しているもの。
んで、登場してきたのが、匿名のネット盗作FBI(CIAでもいいんだけど)。
いわば鎖国していたギョウカイへの黒船である。
ただし、当たりもあるが、はずれもある。(図C参照)


「創造は模倣からはじまる」というのは、池田満州夫の名言(確か)。
模倣だけど、すっかり作者なりに咀嚼されていたら、問題はないだろ。
似てるとか言われても。
ビュトールの『心変わり』と倉橋由美子の『暗い旅』、
サリンジャーの(と、いうよりは野崎孝の翻訳体)『ライ麦畑でつかまえて
庄司薫の『赤ずきんちゃん気をつけて』は、その例。


図Bは、見た通りなので割愛。
ただ高名な作家先生が、地方在住の無名の、それこそ半生をかけて調べ上げた
ノンフィクションや史伝などを、無断引用というのは、どうなのだろう。
いくら大元が一緒にせよ。


音楽の盗作の方が、なんか文学の盗作よりも罪が軽く感じられるのは、
悪しき文学優性遺伝が組み込まれているからという気がする。


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