更地

不可能性の時代 (岩波新書)

不可能性の時代 (岩波新書)

朝イチで追加原稿を送ってから、DVDダビング店へ自転車で。
帰りは少し遠回りして帰ることにする。
サザエさん通りは、思った以上に変化はなく、
246沿いのスーパーマーケットだったところが
クルマの専門学校になっていた。
以前住んでいたマンションはと…。更地になっていた。
道を挟んでA棟とB棟があったのに。
2回ほど、真夜中にインターホンが鳴り、色っぽいオネエサンの来訪があった。
たぶんB棟の主が呼んだのだろう。で、彼女は、A棟とB棟を間違えた。
家主は硬い化学メーカーの不動産部門だったはず。
志賀直哉邸もまだあった。


仕事の資料を飛ばし読みしながら『不可能性の時代』大澤真幸著をざっくりと読む。
ニコ動からヘーゲルまで、「日本の戦後史」を幕の内弁当的に捉えている。
にしても社会学者は、なんと軽やかにミーハーとアカデミックを
両立させているのだろう。
新書なんでコンパクト、通史的に、読むのには便利。または企画書のバックデータ的にも使える。
「サルでもわかる日本戦後精神史」など書名を軽くすれば、もっと売れるかも。


明治維新や第二次世界大戦など日本及び日本人の変わり身の速さは、
プリンシパルがないからだなどと称されてきた。
それに対して作者は、日本人は深層部では、ほんとうは何も変わらなかったと。
一瞬、「鋭い!」と思ったが、これは、学者お得意のレトリックなんじゃなかろうかとも。
でも、こんな一文を目にすると、なあ。

「それにしても、もし第三者の審級を極端な破壊を媒介にして
逆説的に取り戻すことによってしか、われわれは救われないのだとすれば、
やはり事態は絶望的である」

って見事なまでに、秋葉原の無差別殺人事件にリンクする。


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