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「別れる理由」が気になって

「別れる理由」が気になって

一転、真冬のような寒さ。
子どもは期末試験から解放され、友だちと駅上のサイゼリヤへ。
解放されないぼくは、引きこもってお仕事。


『『別れる理由』が気になって』坪内祐三著を読む。
原典に当たればいいのだが、最寄りの図書館にもないし、
ネット古書店だと3巻揃いでいい値段だし。
手持ちの植草甚一の本と等価交換してくれないかな。
ツイてると、近所のブックオ○に100円であったりして。


ポストモダンの時代に、小説が芸術に君臨していた時代の
スタイルで書かれている『別れる理由』が、なぜ、めっぽう面白いのか。を
社会背景や個人史と合い照らして書いている。
この匙加減は、作者ならではのものだろう。ああ、常套句。
ぼくは作者よりも年上だが、『限りなく透明に近いブルー』を評価した小島信夫が、
まだ、このとき、『別れる理由』を延々と『群像』に連載中だったとは。
確か村上龍が日本の伝統的な文学は中上健次で途絶えたと言っていたが、
そこを跨っていた。
お金の話をするのは、品性下劣かもしれないが、
たぶん、文学者がそんなに売れていなくても、
それなりに喰えていたいい時代だったかも。


坪内は、一見何の目論見もなく、小島信夫は、ペンの走るままに書いているように
見えるが、きちんと作者は計算していると述べている。
でも、そんなに緻密なものではないだろう。
憶測だが、フリージャズで一応、出だし、ヤマ、エンディング(表記統一せい)を
決めといて、あとは、そのときの気分で。それに近いような気がする。
決められた構成どおりに書かれたものよりも、ひらめき、即興、
そっちでハメを外す、ぶっこわす方が、いいものになるのでは。
無編集の編集とか。


ゲーム的リアリズムの誕生』で東浩紀が言っている
「作家のオリジナリティや物語のリアリティにではなく、メタ物語的なデータベース」に、
ラノベやケータイ小説の読者は共感を抱いているとしてみよう。
たぶん長いけど、決して「大きな物語」でない『別れる理由』だって
「メタ物語的なデータベース」の集合体である(まだ、読んでないけど、小島信夫の小説はそうだろう)。
小さな大世界とか。ミクロ=マクロとか。タグ付けされたデータベース。
今日の早口言葉「ダース・ベーダー  データベース」。


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