ふらっと

フラット革命

フラット革命

11月2日は、気分がすっかり緩んでしまい、
おうち焼肉&焼酎ロックをいい気になって飲み食いしていた。
午後7時頃、仕事の電話がかかってきた時には、
かなりできあがってふらっとしていた。
記憶の一部は定かではないが、書き取ったメモ、
いつにもましてミミズ文字だが、一応、理解できて、ほっとする。
土・日と前倒しで、それにかかる。


『フラット革命』佐々木俊尚著を読み出すが、
面白くて、つーか、ベンキョーになるんで、あっという間に読了。
以下思いつきメモ。


作者はマスメディアとネットの両方を多分ニュートラルに見られる
稀有なジャーナリストだとぼくは思う。どちらかというと、ネット寄りかも。
相変わらずマスコミに定着している
ネット=インチキという近視眼的な見方に反駁している。

「インターネットの世界には<われわれ>は存在しない。そこに存在するのは
<わたし>だけである。そのようなインターネットの世界がマスメディアに
突きつけているのは、言論のフラット化である」

ただし、SNSのようなオンラインでの出会い、
またオンラインからオフラインへの予期せぬ出会いもある。
いい意味でも、悪い意味でも。

作者言うところの日本の共同体である「擬似ゲマインシャフト」は、
「1990年代」から崩壊する。「グローバリゼーション」、「少子高齢化」などが
「格差社会を生み出す原動力となっている」。

で、ここで作者は安岡章太郎の『海辺の光景』を引き合いに出す。
発表された年が「1959年」。
「擬似ゲマインシャフト」、家族・血縁的社会制度の崩壊の象徴として。
ぼくは、息子に対する過剰なまでの母性愛の小説と読んでいたが。

さらに、「インターネットが今後も普及を続ければ」、「権威が消滅し浮遊する
社会において、<公>がどこへ向うのか―つまり公共性がどうなるのかということだ」。


いままではマスコミという権威を拠り所にしてきた。
ネットは拠り所になるのか、ならないのか。
ネットは崩壊したと言われる日本の共同体の補完的役割を果たせるのか、否か。

かなり、重たいテーマの本で、後からじわじわ効いてきそうだ。


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