もう少し

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四

今週も休日作業。
とりあえず最初の原稿は、アップするメドがついた。
あとは、どんだけ修正が出るかだ。


『滝山コミューン 一九七四』原武史著を読む。
団地、日教組四谷大塚、鉄道。
こんな4つのキーワードが浮かぶ。


団地っ子だった作者の小学生時代、サヨク的教育を受ける。
その思い出とさらに当時の実情を探ろうと、
かつての教師や同級生に取材する。


班単位での集団的行動、
平等という名の下の理不尽さ、矛盾。
作者ほどではないが、班とかぼくも苦手だった。
先生の言いなりのまま、懸命にマスゲームをさせられのも、
かったるかった。
しかし、作者の通った小学校では、
失敗した生徒には自己批判までさせたそうな。


卒業式や入学式での君が代斉唱・日の丸掲揚が強制的だと反駁するが、
反駁することも行き過ぎれば強制となり、
反対のベクトルが真逆なだけで同じ行為なのではないか。
いま思うと、ほんとにサヨクが強かった時代。


ぼくの仲人である叔父は小学校の教師だった。
金持ちもビンボー人も、優等生も劣等生も分け隔てないいい先生だったそうだ。
でも校長にはなれなかった。若いときの日教組の活動が原因だったとか。


サヨク、つーか共産主義的息苦しさに作者はなじめず、
学習塾四谷大塚に自分の居場所を見つける。
作者は鉄ちゃんだが、それは父親の感化だとわかる。
おりしも国鉄の順法闘争、華やかなりし頃。
田舎で汽車通学をしていたぼくも迷惑を蒙った。
でも、なんか台風の日みたいで、まんざらでもなかった。


西武鉄道が開発した町から、東急が開発した町へ引っ越し、
その文化の違いに唖然とする作者。
1974年、ぼくは代々木の予備校に通っていた。
紙不足で主婦がトイレットペーパーを買い占めて、
長嶋茂雄が引退した年でもある。


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