テクニック

若者の労働と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか

若者の労働と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか

『若者の労働と生活世界』本田由紀編より。
2つの論考が、心に残った。


●第3章「ケアワーク」前田拓也


著者は、介護体験に基づき、得たもの、ホスピタリティーについて記述している。

「手段に徹することの意味」

「介助者は、障害者の「手足」あるいは「たんなる道具」としてふるまうことが―
理念としてではなく、具体的な運動や暮らしのなかで―求められた」

ともすると、障害者と友だちのような介助者がいるが、
一見、それがベストのように見えるが、そうではない。
黒子でなければ。たとえが違うかもしれないが、パソコン入力を
しているとき、キーボードは、身体の一部と化しているが、そんな感じ。
ただし、最初からそうはいかない。まずは「訊くという作法」を通して、
障害者と介護者のルール作り、カスタマイズ化をしていかなければと。

この関係論というか、ホスピタリティー論は、
普遍的なことではないだろうか。
流行言葉でいえば反「KY(空気・読めない)」ってこと。


●第5章「就職活動」斎藤拓也


ここでは就活について企業と学生の圧倒的な非対称を述べている。
いまは売り手市場とかいわれているが、それでも学生側は不利だという。
だって最終的に選べるのは企業側にあるのだから。

「大学入試と違い、就職・採用という選抜システムは騙し合いなのである。」

要するに企業は、より優秀な人材を獲得して、他社に逃げられないよう囲い込む。
学生は、第一志望の企業から内定をゲットしたい。

「学生は−略−内定をもらえるには」「企業が公表する「求める人物像」」になりきる。

「現状の採用形態では、企業は「理想的な」学生像しか見ることはできない。学生もまた、
基本的に企業の表側を見て就職先を判断する」

著者は「評価基準が不明瞭」と述べているが、ま、明朗な評価基準などないだろう。
絶対評価でなく相対評価でいくしかないのだが。
と、なると、上手に演じるためには、就活メソッド、テクニックが必要とされる。
品格ある新卒学生。
お受験テクニックからはじまって受験テクニック、就活テクニック、結婚テクニック…。
なんだかテクニックが一生ついてまわる気がする。
ぼくは、実際のところ、テクニシャンじゃないしなあ。
テクニックって言葉は、いい意味にも悪い意味にも使えるから、曖昧。


いまだに同じスタイルでゾロゾロ歩いている大学生を見ると、
このクソ暑い日にご苦労様とは思いつつ、ケモノ道や抜け道など他の道を探さんかいとも。
大きなお世話なんだけど。


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