どんだけー

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

友人から仕事の打診のメールが入る。
まずは、話を聞いてみないと。
てなことで、アポを取りつつ、プロフィールの改訂と持参する作品の整理をする。
まだ決まりではないらしく、でも、思いもかけない時に依頼が来たりするから、会いに行く。
昨日、bk1に800字怪談をやっつけで2本、投稿する。
1回目だけ入選、あとは、落ちてばっか。
晴れてボツになったら、公開するつもり。


『神は妄想である』リチャード・ドーキンス著を少しづつ読んでいる。
「神は存在するのか」という古代からの大命題を唯物論者であろう作者は、
ズバズバ切り込んでいく。
欧米じゃいまだに規範としてのキリスト教がある。だから、家族を大切にする。
だろうか。
大量の信者は、米国大統領選の票田ともなって、政治にも強い威光を示している。
ダーウィンを目の仇にしているインテリジェント・デザイン運動と
9.11以降のキリスト教VSイスラム教の宗教代理戦争が、この本を執筆させたようだ。
こんなところ。

「多くの信仰心篤い人々は、宗教がなければ、人がどうして善良でいられるのか。
あるいは善良でありたいと望むことすらできるのか、想像しがたいと感じている。
−略−しかし、この疑問はさらにエスカレートして、同じ信仰を共有しない人々に
対する憎しみへの発作へと、信仰をもつ人々を駆りたてる。−略−
なぜなら、宗教的な態度の背後に道徳的な動機が潜んでいることがあるからだ」

なるほど。例の、水に悪口を言いながら凍らせると、美しい氷の結晶ができないとか、
そういうヤツだ。インテリジェント・デザインも同じだと。
実際、インテリジェント・デザイン運動ってどんだけ普及しているんだろう。

インテリジェント・デザイン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


んーと、宮台風に言えば「底が抜けた」現代。
親も子も(家族も)社会も政治も信じられなくなったと。
じゃあ、何を、心の、人生の拠りどころにしていけばいいのか。
それが信仰なのか。神を信ずることなのか。


気まぐれな神は人心を掌握するために、理不尽なことや釣りをしたと。
一例として取り上げているアブラハムとイサクのエピソード。
イサクというとゼミで学んだ、キルケゴールの『おそれとおののき』をふと思い出したが。
ララビアータ:回帰する問いを参照あれ。
神という概念と遠い存在である日本人の一人としては、
はっきりいってピンと来ないところもある。ひたすら当方の無知のせいなんだけど。


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