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「少女」の社会史 (双書ジェンダー分析)

「少女」の社会史 (双書ジェンダー分析)

どうもシャキッとしない。で、だらだら、してる。勝手に夏休みモード。
安売りしていた100円アイスをもっと大量購入すればよかった。


『「少女の社会史」』今田絵里香著の読書メモ。


○「第一次世界大戦後、都市を中心にして新中間層といわれる階層が増加し、
「家庭(ホーム)」を実際に実践していった」
おそらく地方出身者、都会出身者でも、長男(跡継ぎ)ではない者が、
勤め人になって所帯を持ち、子どもが生まれ、東京近郊の新興住宅地に居を構えた。
芸術などにも造詣が深く、子どもの教育にも関心が高く、
その中で少女という「ジェンダー・アイデンティティ」が萌芽していった。


○少女という概念を流布したものが「少女雑誌」である。
この(当時の)ニューメディアは、修身チックな良妻賢母の金型に
当てはめようとしていた。

○しかし、「少年雑誌」が一貫して、学業と運動の両立並びに立身出世を
アジテーションしているのに対して、「少女雑誌」は多様化していく。


○その象徴が「『少女の友』の読者たちの圧倒的な支持を得た」
中原淳一の挿画だったと。

「(淳一の描く)少女は自分を見つめる者にこびを売らず、それどころか
関心すら示さない存在として描かれているのである」


○まもなく、軍国少女、銃後の守り、産む機械予備軍として
少女の金型は変更し、修正を余儀なくされる。
で、淳一の挿画も「「不健康」とみなされ追放される」。
ヒトラーユーゲントを思わせる表紙へ。


○当時の「少女雑誌」の投稿欄が、いまでいうSNSのような役割を
果たしていたことは面白い。
ここは居場所のない文学少女たちのたまり場、息抜きだったが、
同様に反社会的とみなされ、追われてしまう。


吉屋信子ガールズラブ系小説が「少女小説の起源」とされているが、
それに続くのが川端康成だった。
少女マンガの黎明期が男性漫画家で成立していたのと類似しているような。
代表作といわれる川端の『乙女の港』と『花日記』が、
実は中里恒子の代作だったという記述にはびっくりした。
でも、弟子が年季奉公で師匠に成り代わってというのは、
そんなに珍しいことではないけど。


補足


○元祖ガーリッシュ文学の白眉ともいえる太宰治の『女生徒』が、
ファンの女性から送られてきた日記に基づいたものであることは
猪瀬直樹の『ピカレスク』で知った。


『女生徒』は、
青空文庫で読める。その文体の妙、語りのうまさを愉しもう。


いまどきの文科系少女、腐女子系の文体で誰かパスティーシュしてくれないだろうか。


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