記号

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)

記号と事件―1972‐1990年の対話 (河出文庫)

なんだか、出先から戻ってくると、エネルギーがエンプティで
ブログを更新する気にもなれない、ここ数日来。


とかいいつつ『記号と事件』ジル・ドゥルーズを読む。
(書影は文庫だけど読んだのは単行本のほう)
対話集と銘打たれているので、読みやすい。
作者の文章は、文学的甘き香りをぼくは感じるので、
内容の理解はさておき、読み進むことが、さほど苦ではなかった。
この本を読んでから、『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』に
むかえば、玉砕せずにすむかも。
それとフーコーの『性の歴史』三部作への言及も、読みが深くて、
いろいろと示唆を受ける。


この標題は、訳者がテキストから引用したものだそうで、ナーイス!
そのあたりを引用。

「記号は生の様態や生存の可能性を表示している。だから記号は、沸き起こる
ように活発な生命や、枯渇した生命を示す症候となるのです」

「創造とは、伝達することだなく、耐久力をもつことです」

「記号と<事件>と生命と生気論のあいだには、深い関係がある。
−略−死んでいくのは有機体のほうであった、生命は死ぬことがない。
生命に出口を教えないような、そして敷石と敷石のあいだの隙間に一本の
道を穿ってくれないような作品など存在しないのです」

ドゥルーズのいう<事件>は、いわゆる事件じゃなくて日常性ってこと。


訳者あとがきを読むと、対談なんだけど、
著者校の段階でかなり手を加えたようだ。
でも、なべて、話し言葉から書き言葉になったほうが、
やわらかく、やさしく、とっつきやすい。
いっそのこと、あの世からヘーゲルを呼び出して
長谷川宏と対談させて、そのテキストが、読みてえ。


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