夢中霧中

FIASKO‐大失敗 (スタニスワフ・レムコレクション)

FIASKO‐大失敗 (スタニスワフ・レムコレクション)



『大失敗』スタニスワフ・レム著の読書メモ。


前半部にいきなり登場してくるディグレイター(巨大歩行マシン)。
何のことはない、モビールスーツだ。意外と宇宙船エウリディケ号のディテールなども
細かく描かれており、メカフェチ、コクピットマニアでもないぼくも、
同乗気分で読み進めることができた。
カーナビならぬスターシップナビGOD(General OperationalDevice)(コンピュータ中枢の名称)は、
2001年宇宙の旅』に出てくるAIコンピュータH.A.L.のようなものだし。
やがて知的生命体とコンタクトしていくのだが、
「惑星クウィンタ」このあたりから、いつものレム先生の哲学的深淵というのか、
厭世的な霧が深く立ち込めてくる。
あ、そういう描写じゃなくてぼくの心象風景が、ね。
書かれた文章が重たくて、別に翻訳に難があるというわけでなくて、よーく反芻しないと咀嚼できないのだ。


ふと、レヴィナスの言説を思い出し、あちこち探してみた。
うーんと、適当なところは、こんなところかな。

「『私が世界を創造したとき、おまえはどこにいたか』と『永遠なるもの』はヨブに問います。
『たしかにおまえは一個の自我である。たしかに、おまえは始原であり、自由である。
しかし、自由であるからといって、おまえは絶対的始原であるわけではない。
おまえは多くの事物、多くの人間たちに遅れて到来した。おまえはただ自由であるというだけではなく、
おまえの自由を超えたところで、それらと結びついている。おまえは万人に対して有責である。
だから、おまえの自由は同時におまえの他者に対する友愛なのだ』。
『永遠なるもの』はヨブにこう語ったのでした。
自分が犯したのではない罪についての有責性、他者たちのための、その身代わりとしての有責性」
(『私家版・ユダヤ文化論』内田樹著より)

「自分が犯したのではない罪についての有責性」これはどんなに素晴らしい進化を遂げたとしても、
断ち切ることのできないへその緒のように、ついてまわるものだろう。


ともかく言えることは、月並みかもしれないが、レムの集大成といえる作品で、
冒頭の小道具は、子どもに苦い薬を騙して呑ませるための糖衣だったのかと、
悔やんでも、先へ進むしかない。


異星人とコンタクトできて、その形成された文明がわが地球よりもはるかに進んでいたら、どーする。
どーするって、たぶん、ぼくたちが想像もできない見たこともないものだったら、
「進化した文明」なんてわかりっこないかも。


いまだにこの星じゃ、同じ生物なのに、文明の衝突とかなんとかいって、いがみ合っている。
相互理解、異文化コミュニケーションなんてほど遠いなと落胆させられる限り、この作品の価値は変わらない。
と、ハッタリかまして結びの言葉にさせていただく。


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