罪と罰

累犯障害者

累犯障害者


週末になると、バイオリズムが下がる傾向。
自分で自分にムチ打ちながら、テキストをまとめる一人SM状態。
確定申告もはじまったというのに、経費の集計などやるべきことがまだまだある。


累犯障害者山本譲司著を昨夜から読み、いま、読了したところ。
累犯障害者」とは、「次から次に犯罪に結びついてしまう障害者たち」を意味する。
ため息というのか、救いがたい現実というのか。
現在刑務所に服役している者の中にはかなりの数の知的障害者精神障害者がいる。
作者は元同じクサイ飯を喰った仲間として彼らをたずね、
インタビュー、ルポルタージュしている。
下関駅に放火した男」、「レッサーパンダ帽をかぶり女子短大生を刺殺した男」などなど。
彼らは社会での居場所がなく、やむにやまれず、結果として罪を犯してしまったが、
その罪の意識すらもほんとのところは持ち合わせていないだろうと。
そんな彼らに警察の取調べや裁判での正当な証言はできず、犯人に仕立てられてしまうこともあると。
刑務所で罪を償ったけれども、彼らにはもはや刑務所しか「安住の地」はない。
「障害者年金及び生活保護費」があることも知らず、
その制度を表向きは福祉団体、実は暴力団関係者につけこまれる。巻き上げられる。
ホームレスも同じだけど。
障害者の受け皿が結局、刑務所というところに問題があると。
よく野放しにしているから危険だというようなことがいわれるが、
彼らが罪を犯さなくてもいいような施設、制度を真剣に考えなければいけない時期に来ている。
ぼくの親族にも長い間精神を病んでいる人がいるが、
たまたま兄弟が多く、親が亡くなっても、面倒をみてもらっている。
このようにいままでは、ともかく日本の家族制度が彼らを守ってきたのだが、
もはやそれも崩壊、どの程度は知らないが、機能不全に陥っていることは間違いないだろう。
この本を読むと、どこがバリアフリーだのユニバーサル社会めざしているんだよと考えてしまう。
回復の見込みがない障害者たちは、病院にとっても厄介者なのだろう。
なんか目障りだから隔離してしまえ、切捨てゴメンというようなお上の発想、
健常者の優生学的スーパーエゴが感じられる。

「障害者を刑務所の「入口」へと向かわせない福祉の必要性を、痛感せずにはいられない」

結びの一行が重たく響く。


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