選択のパラドックス

来月予定の某大学の取材にあたり資料読み込みと取材メモ作成前段階。
学部の改訂原稿は、ほぼまとまる。
気になる仕事が何本か止まっている。


行動経済学 経済は「感情」で動いている』友野典男著からのメモ

ヒューリスティクス

ヒューリスティクスは、問題を解決したり、不確実なことがらに対して判断を下す必要があるけれども、
そのための明確な手掛かりがない場合に用いる便宜的あるいは発見的な方法のことであり」
アルバート・アインシュタインは「不完全であるが役に立つ方法」という意味で用いている」
「ヒューリティクスに対比されるのがアルゴリズムであり、手順を踏めば厳密な解が得られる方法のことである」

アルゴリズムとの違いについては、よくわからない。
ヒューリスティクスと直観、ヤマカンなどの違いについても、よくわからないが、そういうものでは。
ヒューリスティクス - Wikipedia

○選択のパラドックス

「シュワルツは、このような現象を「選択のパラドックス」と呼んでいる。
選択肢が多いほど自由に選べる可能性が広がり、より充実度は高くなるはずだという信奉が現代人にはある。
−略−人にとって選択肢が多いことは幸福度を高めるどころかかえって低下させてしまうというのである」

これはいろんなところで遭遇している。というか、現代、そのものじゃないだろうか。
職業選択の自由なんだけど、なんだかありすぎて、なりたい自分が見つからない。
大学へ行っても、大学院へ行っても、留学しても、見つからない。
ポスドクで宙ぶらりん、一般企業には年齢制限で就職できない。
三択ぐらいがいいのだろうか。
商品も同様で、たとえば部屋のインテリアに合わせて10色の色が選べる冷蔵庫、いいでしょ。
と、いわれても、一瞬いいように見えてしまうが、実際のところは、どうなんだろ。
ありていにいえば、人生の迷い箸ってことなのだろう。

○処罰で低下するモラル

ポール・ヴァレリーを引用している。素晴らしい一文。孫引きで。

「罰することが道徳心を弱らせてしまう、そのわけは、罰することで罪の償いは終わったと思わせるからだ。
罪は罰への恐怖を刑への恐怖におとしめる―要するに罪をゆるすわけだ。そして罪を取引のできる、計量できるもの
に変えてしまう。値切ることも可能なのである」
(東・松田訳、『ヴァレリー・セレクション』上巻、平凡社、281頁)

飲酒運転などの刑罰もさらに重くしようとしたり、
学校教育基本法を改正して体罰を教師に認めたりすると、
罰を享受したことで「償いは終わった」と単純に考えるヤカラがいま以上に増えそうだ。
もっとも、これは人間有史以来の問題といえば、問題なんだけど。
「罪が値切れる」とは、うまい物言いだ。
いい弁護士がつけば。値切れるどころか、無罪になってしまう場合だってある。


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