信心類

創価学会の実力

創価学会の実力

ちょっと前に行われた衆院補選の話。2議席ともに自民党候補が当選したが、
低得票率の中、公明党票=創価学会信者票が基礎票となったことが気になった。
福祉と平和の公明党を支えている学会員が自民党政権を下支えしている。
んで、『創価学会の実力』島田裕己著を読んだ。


ぼくは数えてみたら上京してから5〜6回住居が変わったけど、
そのうち2回が創価学会の会員の大家さんだった。
自宅に聖教新聞をとってるからすぐわかる。
公明党のポスターは貼ってなかった。
大家のおばさんはいずれも世話好きなチャキチャキとした人だった。
おかずの差し入れはあったけど、勧誘はなかった。


大学時代、友人が宮沢賢治好きで日蓮宗創価学会に入信して、
その当時、池袋の日蓮正宗のお寺にお題目をあげに成り行きでつきあったことがある。
ぼくがいい加減に唱えていたら、いつもはチャラけている信者の友人から叱責された。


創価学会は元々は日蓮正宗の講だったわけで、講っていうのは、「信仰集団」、ファンサイトみたいなもん。
それが日蓮正宗とうまくいかなくなって、いまに至る。
日蓮正宗の総本山である大石寺詣でができなくなったことは、やはり、痛いのではないだろうか。
メッカ巡礼の例を挙げるまでもなく、象徴的な聖なる場所があることは、
新たな信者の獲得にも、また信者をつなぎとめておくにも有効なはずだ。


子どものとき、田舎では創価学会の信者と共産党員じゃ、後者の方が変わり者扱いされていたが、
近所に住む学会員のおばさんの激しい折伏に辟易していた話も耳にしたことがある。


この本はいまの巨大化した創価学会ニュートラルに描かれている。
確かに千駄ヶ谷界隈は学会城下町の様相を呈している。
同作者の『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』の方がネタ的には数段惹かれるものを感じた。
ベンチャー宗教団体を扱っていたし、さまざまなショッキングな事件があったからなのだろう。
まさに新興たる所以である。
たぶん、創価学会が宗教団体として黎明期、成長期を経て安定期(?)を迎えているからなのだろう。
いまは学会員の三代目、四代目、いわゆる福子の囲い込みにより組織の維持に努めているようだ。
その姿は宗教というよりも自己可能性開発運動、ポジティブシンキングのすごいの、みたいなものに思える。
間違っているかもしれないが。


ひと昔前の新興宗教の入信の動機は、貧・病・困といわれていて、
それが経済的に豊かになってオカルトだの自分探しだのそういう方面になっていったけど、
昨今の情勢を眺めていると再び、貧・病・困プラス老・孤あたりが動機になりそうだ。


とはいえ、マス(大衆)を掌握するのは困難かも。
ちょうどTVCMや新聞・雑誌広告などのマス媒体の効果に疑問が抱かれているように。
宗教とてWeb2.0の時代を迎えているのだろうか。


ぼくはブランディングとかナレッジの継承維持とかイメージ戦略とかそういうほうに関心がいってしまう。
大企業や政党に対してと同じ野次馬的な視点での後継者問題にも興味がある。
信者の特性やニーズごとに、企業でいうところの分社化みたいものも展開したりして。


ともかく巨大なオフライン(人的)ネットワークが構築されているわけで、
それは票田にもなるし、購買層にもなるし。それは、また別な話。
一応、基礎知識として、こちら。


創価学会 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』