わたくしの話を聞いて

シャルビューク夫人の肖像

シャルビューク夫人の肖像

明日、人と会うので、プロフィールを出力して、昔の作品をチョイスしてファイルに入れる。
なんとなく第一弾の原稿は、メドがつきつつある。
も少し推敲というのか、「お前、ほんとにこれで提出してええのんかあ」という良心の声のもとに、
見直しつつ書き進む予定。

いい天気が続く。外猫のようにクルマの上で丸くなって日長眠っていたら、さぞかし気持ちがいいだろう。
向かいのテラスハウスの工事が今日は静かでいいなと思ったら、隣の犬が朝からずっと吠えている。

評判の高い『シャルビューク夫人の肖像』ジェフリー・フォードをやっと3分の2まで読む。
ここんとこ、仕事本関係が多かったので、魅力的な小説を読むのは、マジうれしい。

成金を続々輩出していた「19世紀末のニューヨーク」が舞台。
小金を持つと、やれ肖像画だの、やれ胸像だのを作りたがるのが世の東西を問わず、成金の常。
写真もあったが、100年プリントとかない時代でせっかく撮ったポートレイトも褪色してしまう。
やっぱり、きちんと絵に描いてもらうのがいちばんだべえということになる。

肖像画家に肖像画を依頼する貴婦人。金は弾むが、条件をつける。
「姿は見てはなりませぬ」。「話を聞いてモンタージュしてたもれ」という、いやはやけったい話。
なんだけど、滅法、おもろい。ストーリーが面白いし、
何より夫人の話す内容が、性格が、はちゃめちゃ(って死語?)。
屏風越しにちらちらと見えそで見えない夫人の顔(かんばせ)。
おいおいそれでちゃんと肖像画が描けるのかよと。
大時代がかった大仕掛けのホラ話。テリー・ギリアムの映画みたいだ。
読みながら感心したり、うめいたり。