撮る人

黒沢清の映画術

黒沢清の映画術

黒沢清の映画術』黒沢清著を読みふける。
といっても映画撮影テクニックというよりは映画監督として撮り続けてきた20年史。
といったほうが適切だろう。

作者は8mm学生映画からスタートする。ちなみに高校の先輩に大森一樹がいる。
大森の『暗くなるまで待てない』の上映会に友だちと行って、何か新しい映画及び映画監督の誕生に
わくわくしたのを覚えている。会場もなんだか熱気に包まれていた。

立教大学へ進学して、蓮実重彦助教授と出会う。
そして型破りな映画ゼミの授業(課題が「ドン・シーゲルを見ろ」だもの)と
人間性にブレイン・ウォッシュされてしまう。
まだブレイクする前の蓮実との交流や森達也など蓮実ゼミの面々。
青山真治塩田明彦など後輩もいたとか。
偶然とは思えない磁場のようなものを感じる。
一時期、ぼくが仕事をいっしょにしていたCMディレクターも蓮実ゼミ出身だったらしい。

作者は長谷川和彦監督に見出され、助監督なり、ディレクターズ・カンパニーに入る。
相米慎二との交流エピソードが興味深い。
後期の日活ロマンポルノでメガホンをとる。
ロマンポルノは乱造気味に作品がつくられていたが、数を見ると、
その中には傑作や珍作・怪作や捨てがたい作品もあった。ゆえに粗製はつかない。
制作費は粗末だったけど。
たぶん原則として尺(上映時間)内の何割かがSEXシーンがあれば、おおむねOKだったのだろう。
なのに、作者は、『女子大生・恥ずかしゼミナール』(すげえタイトル)を拒否されてしまう。
作者はきわめてロマンポルノ寄りだと述べているが。
ま、ともかくロマンポルノで作者が撮りたいホラー、特にスプラッタものなどは、
会社上層部には理解しがたいものだったのだろう。

蓮実つながりで伊丹十三と知り合い、『スウィートホーム』を撮る。
期待して映画館に足を運んだが、洋物ホラー映画の亜流の印象が強かった。
ビデオ化権をめぐる伊丹との裁判沙汰は、覚えているが、
しばし撮れない、いわば不遇の時代となる。

で、その後、どうしたか。哀川翔主演のVシネマや「学校の怪談」などのTV映画で復活。
巻末のフィルモグラフィを眺めると、大量に撮っていた。これは知らなかった。
なにせ作者はホラー映画一筋で、Vシネでもさまざまな映像実験を試みたり、
好きな映画のオマージュ(バスティーシュ)をしていたそうだ。こりゃ、何本かは、見てみないと。

『CURE』にはじまり、『カリスマ』、『大いなる幻影』、『回路』
そして『アカルイミライ』へとつながる。
黒沢ブームは海外から火がついたようだ。フランスで「クロサワ」というと、
明ではなく清になるらしい(ブラフっす)。
彼がその折に感化された海外の監督作品をあげているが、
意外だったり、腑に落ちたりする。
ぼくは、『回路』の終末シーンや幽霊の影は、いまだに思い出すのもおぞましく、もの哀しくなってくる。

映画少年がこうじて映画監督となる。ともかく制約の多い中でいかに自分の撮りたいものを撮り続けるのか。
妥協するふりをして。当然なんだけど、撮りたいものが時代と共振していることを述べている。

作者とぼくは同年なので、上の世代・下の世代への思いなどすごく共通するものがある。
学生運動は2年上までだった」という発言があるが、個人的にとてもよくわかる。
それと東京が遠かったというのも。作者は神戸出身だが、地理的よりも文化的な距離があった、かつては。
スクリーンをはさんで撮る側と見る側で対峙していたわけだ。

ぼくはいままでは自己紹介なんかだと「郷ひろみと同い歳です」っていってたんだけど、
これからは「黒沢清と同い歳で〜す」っていってみようか。