俺はフランケンシュタインじゃない

 

新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)

新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)

 

 読んではいないのに読んだ気になった本がいろいろとある。

で、読んでみたのが『新訳 フランケンシュタイン』メアリー・シェリー著 田内志文訳。
 
期待される「若き科学者ヴィクトル・フランケンシュタイン」が、
苦心の末、死体から「巨大な人間を創造」することに成功する。
しかし、それは怪物だった。
怪物が後年、創造主の名前にちなんでフランケンシュタイン命名される。
ある意味、神への冒涜、踏み込んではならない一線を超えたことを悔いる。
そして逃避する。
 
勝手に生を享けさせられた怪物。「俺」というこの男のモノローグが
はじまってようやく面白くなってくる。
AIでいうところのディープラーニングのように怪物は経験値を積んでいく。
怪物は思った以上にインテリで決して野蛮ではない。
まもなくヴィクトル・フランケンシュタインへの恨みを抱く。
 
手塚治虫の『鉄腕アトム』は『ピノキオ』がアイデアの一つだったとか。
ブレードランナー』ではレプリカントが「開発者の博士」を探して殺してしまうとか。
創造主=父とすれば、フロイトエディプス・コンプレックス
当てはまるような気がする。うがち過ぎかな。
「父殺し」は、文学や音楽などのテーマの一つだし。
 
真綿で首を絞めるように怪物はヴィクトル・フランケンシュタインの愛しい人を
次々に殺める。関係のない小さな子にはきわめて優しくふるまうのに。
 
イギリスに逃げたヴィクトル・フランケンシュタインを追って怪物も上陸。
ようやく二人は顔を合わせる。互いの葛藤や食い違い。
 
ホラー文学の古典は、かなり格調が高い文学の古典でもあった。
怪物誕生までがあっさりしているのは、ホラー慣れした現代人の見方か。
 
誰か『フランケンシュタインの妻』(仮題)で女性篇を書いてくれないか。
ネタバレになるが、ヴィクトル・フランケンシュタインは、
怪物の依頼つーか脅迫で途中まで女性の人造人間をつくっていた。
 
おまけ。
ぼくの好きなフランケンシュタイン映画、真逆の2本を予告編で。
 

つぶやきしろー

 

ぼそぼそ声のフェミニズム

ぼそぼそ声のフェミニズム

  • 作者:栗田 隆子
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2019/05/30
  • メディア: 単行本
 

 『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子著を読む。

 
最近のフェミニズムってなんだか学生運動セクトのように、
またはプロレス団体のように細分化していないか。
お笑い第七世代が話題だが、フェミニズムは第何世代なのだろう。
 
シモーヌ・ヴェイユを研究」し、大学院まで進む。
いざ社会に出てみると、思うような職が得られず、
結果的に非正規、高学歴ワーキングプアとなってしまう。
「就活・婚活、非正規雇用、貧困」など
作者自身が日々の暮らしの中で感じたことが率直に書かれている。
 

「気がつけば、キャリアもなければ、女性としての魅力にも乏しく、母になることも遠く、「半人前」という事実を三十路にして突きつけられた」

 

「女性のフリーター」である私って一体何者と考える。
 

「結婚すればどうにかなる」

 結婚あがり願望は根強いが、どうにかならないことも多々あるのが現実。


田嶋陽子先生も「男手放しても職手放すな」と言っているし。

toyokeizai.net


「シューカツの面接は、いわばオーディションみたいに見える」

 

確かにそうだ。目立とうとして各自いろんなことをする。
ぼくは、苦手だった。
 

「日本のシューカツは新卒というイメージ」
「女は処女でなければ許さない、みたいな価値観」

 

 
言い得て妙。
さらに「キャリア」にも疑問を投げかける。
履歴書などに他人より優位な点を多く記入できれば就職、転職に優位になるように思える。でも、特に転職の場合は、新しい会社ではこれまでの自慢の、自信のキャリアを
リセットできるくらいでなければ通用しないと思う。
 
で、ノンキャリアの場合、つまり「誰にでもできる仕事」は、なぜ安いのか。ここが問題。

「単純労働でどうして食べていけないのかが私にとっては一大テーマだ」

 

正規雇用者、非正規雇用者が2020年から同一賃金になるらしい。
少しは改正されるのだろうか。
 
「「自立」は怖い言葉」だと作者は言う。
「「ホームレス自立支援法」「障害者自立支援法」「生活困窮者自立支援法」等々」

 その裏には政府、国、自治体からの「強迫的な」意味合いを感じると。

 

「「義務」を全うしない人間に対して「なぜ自立しないのか?」と脅迫の言葉として「自立」は利用される」

 

「最低限の家と医療が提供される生活。これを真剣に実現させようとすれば、同時にそのような「生」を支えるための「税収」や「労働」を考えざるをえなくなる。生存運動と労働運動のあるべき結びつき、さらにフェミニズムが絡むとすれば、1人の女で子どもがいなくても、パートナーがいなくても、どんな生き方をしても意味延びられるあり方をこそ考えるべきだし、私は考えたい」

 作者が言うように「生活保護」という名称は変えるべきだろう。

 
ねじまき鳥クロニクル村上春樹著の一文、

「良いニュースというのは多くの場合小さな声で語られるのです」

 を なぜか思い出す。

ぼそぼそ声だと相手も聞き耳を立ててくれるので
意外といいかもしれない。

「愛はすべてを赦す」のか「愛はすべてを奪う」のか

 

中央駅

中央駅

 

 春一番にのって花粉が大量飛散。

対策をしても目、鼻がつらい。

山下達郎のサンデー・ソングブック
聴取率週刊恒例の蔵出しライブ音源。
いつも愉しみにしているが、
な、なんと『君は天然色』達郎カバーが聴けるとは。
ま、CDもライブも変わらない歌、演奏は知っているとはいえ、すごいっす。
未聴の人は、こちらで。1週間以内限定。
http://radiko.jp/#!/ts/FMT/20200223143845
 
 
『中央駅』キム・ヘジン著 生田美保訳を読む。
 
『中央駅』という大きな駅に流れ着いたホームレスの男。
唯一の財産をカバンに入れていたが、それを盗まれる。
盗んだのは女性で同じホームレスだった。
 
犯人を見つけた時、男は彼女にたいして殺意を抱いたが、
やがて恋人関係になる。
お互い名前も素性も知らない。
ただ駅で会える、ホームレスの恋人。

痛い、悲惨な恋愛。
はたから見ればそう見える。
彼女はアルコール依存症。体を壊している。
でも、アルコールを飲み続ける。
刹那的。明日や希望とかは無縁。
ひょっとしたら緩やかな自死かもしれない。
 
「ホームレス支援センター」のチーム長は、
男に救いの手を差し伸べる。
彼女と別れろとも。
 
部屋を借りる資金も融通してくれる。
やっと彼女との二人暮しができる。
ところが、男はその金を盗られてしまう。
 
「愛はすべてを赦す」のか「愛はすべてを奪う」のか。
不幸が連鎖してホームレスになった男と女。
「ホームレス支援センター」などのセーフティネットもあることはあるが、
手詰まり、出口なしの状態。
他人事じゃないと思える。
読み終えた後、ザラツキ感や苦さが残る。
 
レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』の映像を思いうかべる。
 
『娘について』の拙レビュー

soneakira.hatenablog.com

水洗トイレは汚物といっしょに恐怖も流してしまった

 

 『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション 厠』谷崎潤一郎松谷みよ子ほか 東雅夫編・註釈を読む。


厠、ご不浄、便所、トイレ…。
特に非水洗トイレは、特に子どもにとって不気味な場所だった。
田舎の母屋とは独立した便所。ああ怖い。
学校の大用のトイレに入ってドアが開かなくなったらどうしようとか。
厠をテーマに編まれた怪談を読むうち、小学生の頃の自分に戻ってしまった。
 
何篇か紹介。
 
『天狗』大坪砂男
 
久々に読んだが、相変わらず喬子は妖しい魅力。
彼女はトイレにいるところをあやまって戸を開けられる。
結末がやはりなんともシュールな話。

『湯河原奇遊』三橋一夫
 
ある男が「便所にはいったきり、姿が見えなくなる」。
その湯河原の家は売られる。
四年後、「便所の扉が開く」。消えた男だった。
新しい持ち主は驚く。金隠しで神隠しという話。
 
『料理番と女中の姿』田中貢太郎
 
「裏二階にある便所」に立つ男女。
混んで入りのかと思いきや、
便所からは出て来る者はいない。
二人は…。

『学校の便所の怪談』松谷みよ子
 
学校の怪談』は日本の都市伝説の定番中の定番。
「あかずの便所」のカラクリ。
 
「白い手・赤い手」
 夜、便所で用を足すと「天井の方から「白い手がいいか、赤い手がいいか、
青い手がいいか」と声がして、冷たいものに尻を触られたという」
などなど。
代表的な「トイレの花子さん」も。
今なら便所メシとかネタになりそうだ。なってるかもね。

『追いかけるUNKO』吉行淳之介

デートでボートに乗る二人。ボート部出身の男はいいとこ見せようと力が入る。
ところが、突然の便意。湖に飛び込んでなんとかごまかそうとするが。
ほら話のような。木下古栗がいかにも書きそうなお下劣な話。笑える。
 
『雪隠成仏』川端康成

理想のゴージャスな便所をつくって有料にする。
このニュービジネスが成功した男。不慮の死を遂げる。
古典落語でも聞いているような味わい。
付記。
このシリーズの『恋』に入っている川端の『片腕』は、何度読んでも
ヘンタイチッかつSFチック(再々読で感じた)でよろしい。
 
『陰影礼讃(抄)』谷崎潤一郎

厠にしぼって掲載されている。これも名著。
最近ではなんでもかんでも明るくピカピカにしてしまって情緒もへったくれもない。
3.11後、省エネで灯りを自粛したが、あれぐらいの明るさがちょうどいいと思う者の一人である。

居るのはつらいよ-2

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

 

 『居るのはつらいよ』東畑開人著を読む。

以下まとまらない読書メモ-2。
前回のエントリーのおさらい。
セラピーでは

「治療はあくまで手段だ。やはり、通過していくものだ」

と。

「「変わらない」ことにも高い価値が置かれる。」

 

ケアにおいて

「治療は通過するものではなく、「住まう」ものになる」

 

 
世の中は「変わる」ことに重きが置かれていると作者は述べ、疑問を投げかけている。
 

レヴィ=ストロースは『野生の思考』という名著のなかで、原始的な部族の社会を「冷たい社会」と呼び、僕たちの社会を「熱い社会」と呼んでいる。」

 

 
「熱い社会」こそ「変わる」ことが大命題となっている社会。なら、「冷たい社会」は、遅れた社会なのか。違う!と。
やっぱり『野生の思考』、最後まで読もうっと。
 
たぶん「変わる」こと、「変わらない」ことをうまく併用して生きているんじゃないかな。
 
作者はデイケアでメンバーさんからケアされていることに気づく。ここ、大事。
 

「「専門家ございます!」という武装を解除して、メンバーさんの親切をキャッチし、身を委ねられるようになると、スタッフになれる」

 

同じ立場に立つ。
 

「家庭でもそうだし、普通の職場でもそうだ。全部自分でやろうとしないで、人にやってもらう。お互いにそういうふうにしていると、「いる」が可能になる。いる」とはお世話をしてもらうことに慣れることなのだ」

 

最後に作者はセラピーとケアの不均衡を述べている。
 

「セラピーにはお金がつきやすく、ケアにはお金がつきにくい。これだ。
会計の声が持ち込む市場のロジックは、セラピーに好意的で、ケアの分は圧倒的に悪い」

 

費用対効果をケアに求められても「変わらない」ことがケアなのだからなあ。
「ただ、いる、だけ」が認められる社会。どうも流れが逆行しているようで。
 
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』で「ライ麦畑の崖から落ちそうな子どもたちを守る仕事がしたい」と言っていたホールデン・コールフィールド
ふと思いうかべた。
 

居るのはつらいよ-1

 

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

 

 『ミッドサマー』。なんで『夏至祭』にしなかったのだろう。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ファンならそう思うはず。
 
『居るのはつらいよ』東畑開人著を読む。
以下まとまらない読書メモ。
 
心理学の博士課程を出た作者。
臨床心理士」としてなかなか良い就職先が決まらない。
セラピーをのぞむが、それはゼロに等しく、
ケアの仕事は山のようにある。でも、安い。
で、沖縄のクリニックに勤務する。
沖縄の景観や空気に「浮かれていたハカセ」。
「精神科クリニック」内の「デイケア室」が職場。
面食らうことばかり。
 

「メンバーさんは社会に「いる」のが難しい人たちなのだ。だから、僕の仕事は「いる」のが難しい人、一緒に「いる」ことだった」

 

当初は「いる」ことに戸惑っていた作者だが、

「「いる」を徹底することにした」

 


同僚や看護師さん、メンバーさんなどとの毎日の中で新たな気づきや発見をする。
 

「セラピーを学んできた僕は、「私は私、あなたはあなた」を叩きこまれてきた。心の問題を扱うセラピーとは、きわめてプライベートな内容をプライベートに扱うものだから」

 

 
ところが、デイケアでの臨床を重ねているうちにこう考えるようになった。
 

デイケアには―略―孤独になると「心と体」を分かつ薄皮が燃え去りやすいから、誰かと共に「いる」ことを必要としている人たちが集まる。彼らは他者に開かれていて、そして他者を必要としている」

 セラピーとケアの時間の流れについて述べている。興味深い考察。

 

「セラピーの時間はぐるぐると回りながらも右から左へと流れていきます。―略―基本的にはセラピーではAという状態からBという状態へと移行することが目的となります」

 よくなる、改善するなど設定した目的がその通りになるかどうかはわからないが、

「少しは変わる」あるいは「ささやかな成長とか成熟を得られる」と。
一方
 

「ケアの時間は円環的に流れている」それは「デイケアは―略―平衡状態を提供する場所だから」「毎日が同じように繰り返される」

 

まとめ。
 

「僕らは二つの時間を生きている。一つは線的時間で、それは僕らに物語をもたらす。もう一つは円環的時間で、それは僕らに日常をもたらす」

 

 
このエントリー続く。

書きますた。
オリックス生命 BAKUBAKUヴィレッジ
カイセツ教授のビジネス・コーチング  子育て応用編
第7回 「ファティック・コミュニケーション」

www.orixlife.co.jp

 

天才たちのルーティン

 

天才たちの日課  クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

天才たちの日課 クリエイティブな人々の必ずしもクリエイティブでない日々

  • 作者:メイソン・カリー
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2014/12/15
  • メディア: 単行本
 

 

『天才たちの日課』メイソン・カリー 著 金原瑞人 石田文子訳を読む。
 
古今東西の作家、音楽家、画家、哲学者、映画監督などの「ルーティン(日常的な習慣)」をまとめたもの。創作活動をどんなスタイル、儀式で取り組んでいるのかを1人につき1~2ページ程度でざっくりまとめてある。
 
評伝や伝記にはなかなか取り上げられない当人ならではのこだわり、儀式。知っているものもあるが、圧倒的に知らないルーティンなので「へえ」とつぶやきながら楽しく読み進む。
 
共通しているものは、コーヒー、紅茶などのカフェイン、酒などのアルコールの摂取。
過剰摂取かも。あとはいまはお縄になるようなドラッグ類をたしなむ人も。
改めて知ったのは、朝型、夜型に関わらずほぼ毎日何時間かは創作活動するということ。
 
たとえば、イマニュエル・カント。
カントは日々規則的に散歩をしていた。カントが時計代わりになっていたことは以前読んだことがある。厳格な人って感じだが、実際は
「人づきあいがよく、話がうまくて、ホスト役をにこやかに勤めた」。

 

 ほら、意外。

 
たとえば、アガサ・クリスティー
プロの作家になっても書斎は不要だった。

「私に必要なのは、しっかりとした台とタイプライターだけだった」

 

 

「毎日、一年じゅう執筆をした。誕生日も休日も休まず、一日二千語というノルマを達成するまでは、決してペンを置かなかった」

 たとえば、ホアン・ミロ

「決まった日課を毎日かたくなに守った。その理由のひとつは仕事に集中したかったからであり、もうひとつはうつ病がぶりかえすのが怖かったからだ」
「このような日課が、人づきあいや文化的な催しで妨げられることを嫌った」

 

日本からは村上春樹が唯一紹介されている。
ファンにはおなじみの「長篇小説とランニング」の話。
あ、水泳もしているそうだ。
バイクをやればトライアスロン、出れるね。
ライフハック的に役立つかというよりも、その人をちょこっと知ることができる。
それだけでも十分によい。そう思う人に。

書きますた。
オリックス生命 BAKUBAKUヴィレッジ
カイセツ教授のビジネス・コーチング  子育て応用編
第7回 「ファティック・コミュニケーション」

www.orixlife.co.jp